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Drawing Tube vol.04

Drawing Tube Vol. 4 – Sohei Nishino x GAP students from Hiraku Suzuki 鈴木ヒラク on Vimeo.

Drawing Tube vol.04

西野壮平x GAP students

日時:2019年5月31日(金)15:00 – 18:00
会場:Hiraku Suzuki Studio(町田)

写真家/アーティストの西野壮平氏を鈴木ヒラクのスタジオに招き、東京藝術大学大学院Global Art Practice専攻の学生達も参加して、書画カメラ2台などを使ったドローイング/トークセッションを行いました。


A rough note written by J
13:30 31st of May Final day of May 2019 Reiwa 1
GFW2+F4 Machida, Tokyo

Brian Eno “new space” music 新しい空間

石 置く 矢印

おにぎり のり ごはん

こだま やまびこ

軌跡 軌道 そこにあった指 そこにある石

筆 書

今日はお集まりいただきありがとうございます。
彼は西野壮平くん です。
僕の近しいアーティストの友達の一人で、まあちょっと英語の方がいいか
one of the closest artist friends of mine
who is who keeps always giving me true inspirations
so its my true pleasure to have him here
also happy to have all of you here
students and Miho-san curator, and kenjiro-san とか

じゃあちょっとdrawing tubeについて I’ll give a brief introduction about Drawing Tube

So basically drawing tube is the name of the event.
The name is also platform that I started organizing 3 years ago
It’s for experimenting, sharing, conceiving, alterantive research and practices about drawing
in an expanded notion
So by the word drawing, not only drawing on paper, works on sketches, ways to show artist’s emotion or something
By drawing making lines, discovering invisible lines in space and time
For example dance can be drawing in space making trace in space
Music may be making lines in time
Text may be making lines in language
So uh, eh, through the act of drawing, we あの だから ドローイングによって、えっと、
so also きょうのテーマでもある walking
walking might be making lines
in space and time and on the earth

so through the act of drawing we correspond with the world
えっと in other words, we are making tubes in space and time

when we make tube, in space, it generates the traffic
somethings go inside and get outside
so it’s you know interactive system
it’s translating between two separate or distant points of places

so recently the English anthropologist Tim Ingold termed this way to correspond with the world through drawing anthropography

so and for me Sohei is one of the んーと one of the greatest anthropographer in the present time
cause he あの he his primal medium is photography that is all his practice starts with walking and the act of drawing
and it corresponds with the world

soあーの he’s going to give a short presentation about his work
so let’s see

Good afternoon My name is Sohei Yoshino
I’m not good at speaking English so I’m gonna talk in Japanese and maybe someone who can speak

Yeah I can translate

そうですね
えっとまー今日あのえーひらくさんにこう呼んでもらってうれしく思っています
でまあこの空間に入ってこんな音楽流れてちょっとこうまあ自分の作品の説明しようと思ってスライド用意してたんですけど
予行演習でみんながドローイングやってたの見て自分の作品よりそっちを早く見たいなって感じで
いやいや やってください
なんていうかやっぱり10分20分見てて この空間もそうなんですけど 音楽と まあ空気がそう メディテーションの場というか 瞑想空間の中にいました
でまあ 僕にとって あのドローイング ウォーキング メディテーティング が根幹にあります
まあ写真をベースに活動してるんですけど、やり始めたきっかけとなったのが
高校の時にえーまああるなんというの巡礼路 八十八か所巡りに参加したことで写真を始めました
でそう写真をや やりたいと思って始めたというよりも 歩くことをえーえー重きを置いてたら写真にたどり着いたというような感覚でいます
歩くということは僕にとって瞑想に近いような感覚があって、その四国の道を歩いたときに、言葉としてメディテーションと同一になるのか 当時は思いませんでしたけど フィットするなと思いました
でまあ 歩く行為というのは えーなんというかなあ なんでメディテーションになるかというと
長い距離歩くということがまあ必要というか歩けば歩くほど自分の頭が真っ白になり体の中がこう 頭が空っぽになるという感覚があります
でまあ大学のころから約15年くらい続けてるプロジェクトがあります それがジオラママップという作品です
で えーまあこの作品は都市をベースにしていて 都市を歩くということ 歩いた時の痕跡が地図になっているという作品です
で都市を歩くということを選んだのは都市というものは情報量が多いんですね 情報をキャッチする まあ東京とかニューヨークとかロンドンとかフィールドの大きいところをチョイスしているんですが そういうところを歩くのは瞑想に近い感覚になります
まあそれがなぜかというと まあなんでですかねえ 自然の中で歩いてる感覚 歩いてるときっていうのは なんというかなあ ほんとにこう えーまあ 高低差がなかったり遠くまで見通せたり自分が精神的に安定したりというところでえーそういう感覚に近づけない部分が 近づけない部分があるんですけど
都市に入って自分が歩くというか浮遊するという感覚は歩けば歩くほど、えー情報が多い分情報と遮断するというかより頭を白くする 空洞化できる気がして その感覚が自分は好きです
作品 ちょっと紹介しておきます 数が多いので足早に行きます

えっと まあ自分のあるチア痕跡が地図 身体的にこの世界をマッピングするというな感覚でこの作品を展開しています
これは2016年に作成したサンフランシスコです

これは写真を使って作っています ヘリコプターなどを使って作ってるように見えるかもしれませんが 無数の写真 これは3万枚の写真を使って作っています

近づくとよりディテールが見えてきます

まあこう 近づけば近づくほどストリートで自分が撮ったものが移されている

この作品が大体まあ20都市あります

まあ大阪 京都 東京 上海 このプロセスはすべて自分の手を使っています そしてフィルムを使っています

コンタクトシートを使ってフィルムから作ります こういう風に

で えー自分の手を使うことで 自分がそこに滞在していた 1か月あるいは2か月 経験を物質を通じて体験できる フィルムを触ったり 紙を切ったり

大体まーえー3…4か月5か月 1作品作るのにかかります

えーニューヨークであったり パリ 香港 ロンドン イスタンブール リオデジャネイロ ベルリン ベルン エルサレム えーまいっぱいある 東京については過去に2度作ってます
アムステルダム ヨハネスブルグ ハバナ でサンフランシスコ
で まあこういうものの作品以外にアイランド ナイト これは架空の地図を作ってます
でそれ以外にday drawingという作品を作っています 2014年11月から毎日GPSを使って 家を出るときから帰るときまで 移動するときの動きを可視化できないかなって
えー まー下に日付と場所が書いてありますが 我々も日々移動していて 人間の移動というのは本能的な行為だと思っていますが 移動の線 ラインを描く その線に光を当てるという行為を写真で表現しています

えー トレーシングペーパーを使って その軌跡をコピーして そのー線 コピーしたものに沿って小さな穴をあけていきます
そのトレーシングペーパーの裏に黒い 透過性のある黒い紙を置いて その線をえーあ 線に沿って穴をあけていく
それを暗室の中に持ち込んで写真を撮るんですけれども 後ろから光を当てます
穴をあけることで自分の痕跡足跡というようなものをよりこう表せるように 自分の移動して歩いた部分の有機的な部分に光を当てるという行為を、えーまーしました
でまー先ほど見ていただいたジオラマという作品が タペストリーのようなものでしたが 無数の糸で結ばれているとしたなら この作品を一本の糸を抜き出したようなものだとします
ジオラママップの撮影は例えばいろんなレイヤーからなっていて高い山であったり高いビル あるいは路上から出会ったり 地下の風景であったり が入っていますが day drawingは自分の足では届かない 衛星というもので俯瞰する
常に目を移動させながら写真行為を行っている

IL POという作品ですね これはイタリアのアルプス を流れるポー川の作品ですね
650km 山 アルプスの山が始まりでアドリア海 まで 650km続く川 一本で続く川なんですけれども
一本で身体的に自分が川の一部になるかのように 川沿いの風景を撮影していった作品です

でこれは最近作成した東海道ウォークプロジェクトというもので えー歌川広重というえー浮世絵師が江戸時代に東海道沿いにある宿場町 55 53宿ある 宿を移動しながら描いていったんですけれども
その絵が描かれた場所を探しながら東京日本橋から京都三条大橋まで 現在の東海道というものを表現した作品です

約一か月かけて歩いて作品がまあ一年かかって作りました オリジナルは44mあります
今はそれをえーまー巻物を作っているところなんです

まーまーそれ以外にも流氷をテーマにした作品があったり
えー

でーこれが最近 つい先日出来た えー エベレストをテーマにした作品で
マウンテンライフマウントエベレストという作品です これは5mありますね 先週出来たばかりです

エベレストの作品をよく見ることはあるんですけれども 印象的な きれいな山々を写し取った作品が多いと思うんですけれども 僕がやろうとしているのは これを歩こうとしている人 トレッカーたちが どういう道をたどろうとしているのか どういう景色を見ようとしているのか

えーえー25日 23日 山を蛇行しながら登って いろんなスポットから撮影して 大体半年 えー1年かかってこれを作りました

地図的な集計画とかであったり 古地図だったりとか タペストリーマンダラとかだったり ファミリーツリーとか 初期に言葉ができる前に もうあった 地図のようなものだとか オーストラリアアボリジニのペインティングだとか マーシャル諸島の貝と竹でできたものとか これでどこに餌があるとか魚があるとか海図 を認識していたり イラストだったり ステインバーグという人のロンドンの地図だったり 杉浦康平さんの色々な料理で知覚がどう反応するかとか

でまあ僕はこういう地図というものを作るんですけれども いま現代の地図は例えばGoogle Mapだとか目的地に向け人が同じ道を辿ったり同じ時間で目的地にたどり着く この世界で一番有名な地図ではなく 違う それぞれの人間の間隔だったり経験だとか まあ空間認識 人が持っているものがあると思うんですけれど それを写真を通じ展開 拡張 えーまあしていければいいんじゃないかなという思いで 制作をしています

えーま一応このあたりで作品説明おわりで えーありがとうございます

エベレストすごいね。つい先週?今週出来た?
一週間前に出来た
出来たっていうのは、うーん
6000m
ベースキャンプ
ベースキャンプより上
あんなにそれが映り込んでるエベレストの地図見たことない
でも体感としては山があって空があってその向こうにまた山があって空があって

んまー今日は僕があんまりしゃべったりかいたりする場とは思っていないんですけれども
2こか3こだけキーワードを上げたいんですけれども

Photography is immediate reaction
一つはえーっとまああの Hneri Cartier Bressonの言葉で 写真は 瞬間的な 反射である

Drawing is meditation ドローイングは瞑想である でこの言葉を凄い気に行ってるんですけど
でー、写真とドローイングの関係を考えるとき
そうへいさんと会ったときにこの言葉を思い出したんですね
僕はずっとドローイングをやってたんですね で写真に近いづいてた時に 彼は写真からドローイングに近づいてきていて 出会った 写真とドローイングがこうあって エンカウンター
写真とドローイングを考えるにあたって メディテーションはこう いい切り口だなと 改めて思いました
あとは えー 最後の味覚の地図もそうだけど 彼はこうすごい料理がうまいんですけど
めちゃくちゃおいしいんですよ
で えーなんだろうな ひとつね ひとつだけ こう 多感覚 multi 多感覚的っていうのかな
multi-sensory mappingという言葉をね、思いつきました
なんだろう ドローイングにせよ歩くことにせよ いろんな感覚を総動員して行ってる行動だし
単なる5感にとどまらず ありとあらゆる感覚 自分にはない感覚を取り込む行動でもあるし そういうマッピングをね やりはじめたい
で えっとね トイレに行きたい人はいつでも あと暑いとか寒いとか大丈夫ですか
あと えー そうね あの僕らはよく一緒にドローイングをすることも多々ありまして

あのー彼のスタジオでもやるし どこか飲み屋でもやったり 描きながらしゃべることが多い

さっきのブライアンイーノの音楽 かけま
今も小さくかかってるんだけど これ いいでしょ

なんかまあ 僕は写真やってて さっき見てもらった ポー川をテーマにした写真集ができて
その中には650km歩いて作品化したものがあるんですけれど
その中にスナップショットがあって その中に出てきた写真をこう持ってきたので
それをこうプロジェクションに映して お題じゃないけど どう反応するか
あーそれいいですね
それとアトリエが僕西伊豆に会ってそこ海で石拾いしてきたんですね それが5-6kmあるんですけど
それを僕今日持ってきたので これ皆さん使ってください

そうへいくんにとって川はどういう存在ですか
都市を の中にいると なんというの どうしても 川によって行くというか 都市に迷うと 僕がその迷うと エスケープできるという場所でもあるというか なんというか 心地よいですよね 川沿いの風景というのは
それでなぜなのかなというのを感じたと思えば その都市というのができる前に なぜ心地よいのかなと言えば 川がこう流れていて それがちょろちょろと流れているのを見る その感覚は都市ができる前にそれを見ていた人たちは、同じような感覚をもったんじゃないかな というのは思いますね

あのー川って傾斜が重要じゃないですか 水が流れるためには それで僕は最近 あのー考えてることの一つが傾斜なんですけど ん ちょっとねーこう説明するより 提案なんですけど みんなで一回外に出て少し歩いてみたいんですけど 湧水がこっから3分のところにあって 底から川が生まれているというポイントがあって 底に行くのは傾斜があるんですよ その歩いてる時の感覚というものも 体感してほしいので 休憩もかねて 10分15分そこに行ってみたいと思います そこに その わきみずのところに クレソンが生えていて それ食べれるんで 多感覚的という意味では それ食べてみてもいいし
傾斜ということをちょっとだけ説明すると 都市ということで ニューヨークのような 東京の下町もそうなんですけど フラットな場所 坂がない場所にいると どこにいるか分からない そういう意味では 傾斜がある場所は安心する 自分がいる場所が分かる そう考えると縄文遺跡も 多くが斜面に作られている 貝塚とかもそうだし 潅頂遺跡 見晴らしのいいところに作られている 北海道の北小金も 見晴らしのいい斜面に作られている なんでかなと考えると 皆さん気にしてほしいのは 抵抗なんですね 摩擦 まあそれこそ荒川修作さんなんかすべて斜面のテーマパーク作っちゃいましたけど 斜面において人間は自分の身体を意識せざるを得ない それは低地と違った接地の摩擦があるからなんですね そしてここはべく鳥栖の向きが双方向です つまり人間がその斜面を歩く問うことで地面からこの摩擦 を感じて 土地が自分の中に入ってくる というベクトルがある 相反するベクトルが生まれるんですね それによって人間は世界を自分の中に位置づけることができるし どこにいるか分からないという感覚は 斜面というところでビビッドに実感する それこそドローイング 描く あるいは 書く writing これは語源が一緒です どちらも何かの表面にとがったものをこう 刻むということです ここで起こっていることを書家の石川きゅうよ先生は筆触と言ってましたけど これは接地面における双方向的なベクトルのことなんですよ これは刻んでるときの印象を受ける これはインプレッションであると同時にエクスプレッションであるという これはそうへいくんの作品から常々感じることでもあり ではちょっと 皆さん 靴を履いていきましょう
ひとつ お願いすることがあって この辺民家なので 外であまり大きな声は出さないでほしい

arrives herewithin

ここに、来たる

先 先端 とがり

刻まれる 刻む られる れる られる れる

置く 置かれる 置く

生産 消去 作成 保存

かすむ ぼける

なぞる

放つ 分かつ

山 川

分かれる つながる

際 端っこ

切り込まれる 切り離される つながる

そこに村がありそう

ひとのいとなみ

なみ、ひとのいとなみ

Much to be done

Much done

Looking and doing

watching and writing

lighting and darkening

川刻む 山分ける
石音鳴る流れるこつこつと こんこんと

地方

圧倒的な赤 そこに

石 回転 回る石 流動

is the stone the earth?
is the earth the stone?

原に町、田

Haramachida

白黒

囲碁
国会/議会
領土
河川

消す 削る 作る

VJ ヴィデオミキサー

川辺にかすみたち きみなき里にも春は忍び寄りぬ

Kenjiro Kenchiku history architecture at Todai
History of the city, fieldwork/archive to create history
personally pure historical of 17th century, relate to map, architecture in narrow terms
nagano, by cities
historical archtiectual preservation area history

South France rural mideval North Italy Hollands lowlands fieldwork

to maps, especially when you dont understand language and interested in hisotry
digital, typography, history of maps and translation and desigining of architecture

wanderlust-2000s book hisotry of walking (歩くことの精神史)
Solent Rebecca-read various books, archives and look into the walkers of past
translate, and some found interest

next translation was A Field Guide to Getting Lost
personal, getting lost is about moving towards the boundaries of self, as a theme
in a way a personal essay with many contemporary artists, hard to explain in one way

she also published San Francisco Atlas, collaborate with sociologist and artists
similar projects in NY and others, mental maps and cultural layers in a map
based in SF, many books have san francisco reference

Some impressions from converstaion between Nishino, Suzuki
background of translation: I had done British “travel writing”, which is walking and travelling by self and writing about it
As an editor, this was of interest, recommended by Kenjiro Suga
Many writers in many countries write about this topic: robert macfarlane is an English literature historian
he climbs mountain, swims, and into the underground world in most recent works, in Paris
Physically doing and writing
I really like this person and often read

French Antoine de Baecque- a little different taste, perhaps nationally (cultural event)
always references few authors, and builds cultural layers on top
In Japan, 53 stations of Tokaido and Matsuo Basho

walking as a text, interest in maps-the writing of moving and location, confused in Romantic period
moving itself becomes value of writing and hard to summarize, thease are my interests

Photography in the city, walking, is often done by city historians
in the end, they archive it, but they look at the history of the city by walking and some in the past sketching, but recently take a lot of photos
in the end the massive amount of photos just get stored without being used
but the message is the quality, impression of the city to be recorded
as a researcher, trying to connect that to some result is difficult, but doing that is very close to field work
in addition, recent city history includes more than city, maybe not region but territorio in Italian, connection economically agriculturally topographically
this is impossible to walk and take cars
GPS logs and photos remain, but then it is hard to do anything with this massive data
when trying to connect this to output, recognizing this one idea into object seems very interesting
photography is taken in the moment, but movement is a trace, how do you think, sense of this distance? the distance of photography and the moment
there must be a few photographs at one point, then move, and then another few photographs
you have sense of place without GPS, so perhaps not a map
and the distance with the object, the object goes to where it is photogrpahed
the point and the movement trace and becoming a plane, and also becoming a work, a world in itself
the relation of photogrpahy and physicality of movement, I’d like to ask

I do not take my photos, camera with me for the first week
photography, to recognize the space, especially when at a place that I do not recognize, how big? this is very abstract and scary. walking is to get rid of this sense
first for a week I walk, this act later becomes important
going to high places, above all the reason for the work was to place myself in a high place, not the street but a tall place and look at how long it has taken, this act is to me the important way to recognize the world
by this, by placing myself at a high place, I can evade the scary sense
then going into the city and taking photographs, hard to say, but to me taking photographs the photos and the relation, length between it and walking I do not recognize, but it starts without taking my camera to walk and experience

Initial reason for pilgrimage was, I liked drawing and going to art prep school, but then I found something even better, when I heard from someone I knew about the pilgrimage, and took my camera and sleeping bag, this experience fit me, and by walking looking at the shifting scenery
the shifting scenery was a way to look at myself in a relative manner

the shifting scenery, the Tokaido and its river, the image of the city, seemed to be the theme initially but then it becomes line, or the pane that comes from the line, is that the sense?

Yes, I guess so

I read and not really write text, but when I read, the text of moving in space, this is a minor book of walking in a street in Oxford (James Attle), and is a map very detailed about a certain place and not about others
He is an art historian, but also interested in how they are written, one is a map (history of map, was a big theme, now recently being deconstructed) maps, could not be thought in one
It was at a library but only checked out once before being decomissioned

Also, in terms of architecture, the digital production of architecture in a historical context. how the plans connect to the actual architecture has always been a theme, and the digital came in the 90s, this is the theme of the book. 1:1 3D, becoming democratized

the traces, with holes GPS is only points, then connected, but with the work it is returned to the points
where did this sense come from?

the GPS lines are not always along my senses, and if the lines could be more organic, and if the lines, which are collected every few seconds, and connected, is not equal to our physical sense. By creating the holes and points myself, it brings it back to my physical sense. Like stopping at an intersection or taking strolls randomly, those points are really bright and becomes a key

the points are pinholes, right, that is interesting

the place in between holes, becoming a line, connects things

by connecting holes, it allows humans to make shapes
like constellation, distance between stars, but how they are made interest me, and to draw lines and also make it equal to my sense of time, is a theme that I had thought, and it ended up there

do you care about the scale of your work?

somedays I travel hundereds of kms, other times around my house only, but both are in the same sizes. So it is less about the size and more about creating lines in the given space, treated equally

So you like maps, and with the many images I can see that, but perhaps the map for you as a view of the world?
For example, maps taken from the sky, like Google maps, have its origins in the 17th century, and before that the scale of the city and the world was an imaginative view, by those people and groups in their recognition and its communication was important
Nishino tries to bring it back to a map that humans have created as a totality, perhaps

Yeah, could be… photos, cameras, as a tool, perhaps gives me that idea
When I started photography, film was mainstream and now there is digital photography. Technology has changed, and long lenses have given us the way to look at things our physical eyes cannot. So, these technologies have given me the sense that “hey, perhaps the world I see, for example the Google Maps kind of the world, might not be equal”, and cameras might be a starting point for that

another thing perhaps, the ocean map with the branches, the wind and waves, simulation from nature is often a theme for a few artists, and people write about it overseas. True in cities too with how antennas are facing etc., and I got lost on my way here from the station, but this physicality was important. So you do not have a camera with you when you first visit the city, but do you look at maps?

Yeah, the maps that the local ordinary citizens see, or train maps, or maybe tourist maps.

By it you see the inaccuracy?

Nishino, when you walk, to how much extent do you get lost? When you are lost you become multisensory because you are trying to grasp many things. Pilgrimage may have a clear mission, but what is getting “lost” to you?

I really get lost. I walk to get lost, in a sense, and going to places I do not recognize, I am free to walk anywhere and not to a given path, not touristic places, so I walk to the sounds I hear, or to be close to the sounds of the river, really depends on the situation and this is comfortable. Getting lost gives me many accidents, happenings, and I am probably very vulnerable, and myself getting endulged. By getting lost, the place goes in to my memory. The time is memorized, and is what happens

Walking and meditating, it appears that nature is better, but with the city you have lots of information, and better for you. Maps have many details, people, information, the relation, how do you feel about that?

The channel might be different. Meditation is not my purpose, it is beyond that. Getting lost, lets me know about Tokyo, London. What is beyond it connects me to my creation of works

Details, to the point of getting lost, and meditation, the relation of people, ideas. How do they connect? With the GPS, is it an extension?

Hmm… I want to know. I am often assumed that I have certain points of taking photos but it is not true, I often get lost and keep that sense for the next month, selection as an act is something I do but during my stay for a month or two, the senses and calculations, which I cannot say I don’t do, is away and I try to keep my original sense

So there is the desire to get lost, but endulging one’s self in something, perhaps that is a sense, or maybe it is not, the getting lost is very attractive, but there is a lot from getting lost, that is the purpose so it is okay, and at the same time, in the US when the west was being won, there were many that got lost and may died, but that was connected to the desire to know the unknown. So with something like SF, the big scale, gives me the sense of “scary” to me.

What do you choose when you take photographs? You get lost because you have a destination, but from your story, there is no destination but you create a situation that is the same as getting lost constantly creating, to recognize yourself. Much like recognizing self at the slope, and always using many senses to see where you are. Like when you see something in Osaka that does not feel like Osaka. The photography, determining moment, is like drawing, is ordinary and taking something ordinary. So what do you see when you take that photo? Deleting all that context, similar to much of photography in the past, or is it a certain moment?

I am asked about which cities I choose, but there is no reason and it could be any city. By walking and meeting things and taking photos, that becomes in the end a map. What I take, of course high places and space to be recognized and created into a map, but more than that, I take them when my emotion moves, how I choose my subjects, it is more in the moment.

In a way, it is against the moment and also is the moment.

Yes, I try to create it myself.

これ相当いいですね。
相当いい状態でバトンタッチする

Getting lost, to get lost with an objective, or is it possible to just purely get lost?
The loss of direction is possible, in Istanbul, at the Grand Bazar, it is an interior and you always get lost. All the ordinary items are outside and as you go inside, the tourist items and pots are in the center. Also, mazes have no objective but you get lost, and it is always a map, so even with a map you get lost

Working with Arakawa-san, Yoro Tenmei Hantenchi, was to create a maze. By creating a maze, you try to see how you recognize the senses. From hedges, it becomes a 3-dimensional maze with changing body poses to get through, and leads to the point of the slope. This becomes Kiritoji, the sense of having hedges and bars all around ourselves even if we cannot see it, and if we were babies we could go through all of them, and so mazes as aerial photography is not everything. For Arakawa, there is a maze somewhere physically and mentally, even when we suppose we are thinking rationally, and we are creating a maze, but the moment it becomes an objective, it is something that does not exist. That status is “dead” for Arakawa

Modernity, created a common horizon, in architecture. But with Yoro Tenmei Hantenchi, you go and you see many horizons each time, and the fact that it is not one line, and creating multiple lines every time allows you to live. The moment there is only one flat line and have on sense for all, is modernity, but to get lost might be creating lines for each of ourselves.
Also, I went to A-school after masters at Geidai, but was quite different from what I learned in school, and mapping the world, not desining architecture, was the purpose. Might be before the measurement of after, but I saw the origins of that before going out into the world. Yoro, there is Japan a few times, or Gihu, in 4 ways without up or down, and Paris NY Beijing as a map and mixed, try to figure out where you are as a map, and selecting the horizon, this might be getting lost and creating the world, meditation.
Also, the void for Arakawa means everything. When westerners say nothingness, this is wrong. The sene I get from them may be the most important.

Also, whether you should say SF is also a concern. By saying so it is interesting.

Well for people who had gone, SF is immidiately reconizable, but for Istanbul or Johannesburg or London, for those hwo had not been there is is hard to recognize. The place names, yeah, I had thought of not including it.

The city, is it made from certain parts? at the pasting process?
Yes
So the parts are done first? OR does it expand
The center is the first spot ,where I want the center to be. For Tokyo the imperial palace.

The mapping is in process, as Kakinda is drawing

Nishino, do you have the sense of developing ink as river? The void, reflecting the world seems to me as a theme. Mapping, in the city, do you sense the river?
In the diorama or the map, the void is the river often, with an invert. When you develop the photo, you recover and reclaim. The river seemed to me as developing photographs, so the void that existed in the fist place caputres the light and reflects

The river existed befrore the city, the water and river, and created the sturcture, and the city that created it gives me a striking impression, and perhaps creates the river

For Hiraku-san too, the lines are silver and reflective, much like a river

I just realized that now. I did bring silver today, and silver line is like a river, adn also developing liquid. In an extreme sense it becomes lines of light.

The sense of capturing light and developing at the same time, is one that I get strongly

Motoyo-san is a photographer, do you have any comments?

I made photographs of children, and did some drawing. Then, to create lines and taking photographs, seemed to link. I did not recognize the lines at first, first I was thinking of connecting the outlines, and at first there was strong interest in drawing lines, and later realized that I was trying to draw with the photography. I continue to this day, but I see it in a diffferent perspective now, and rerecognize the drawing in photography.

This current situation, the machine , the Tube method. The tube is extracted and is temporary
The Drawing Tube method?

In terms of outlines, making the stones into outlines, and have contrast

In terms of projects, you have diorama and day drawing as tapestry and string, connecting to my major. Photography as a work, but the string is the only thing I do by self, and to create the world with others seemed interesting.Digital and connecting film, reconstructing and recomposing perhaps is the weaving

Analog processes coudl have led me there. The hand processes from the beginning, and there is a lot of processes in between. Cutting, contacting, seemesd to me as weaving and the action appeared to me as tapestry eventaully.

To connect and weave, seemed very close.

The string is the way to escape from the maze. Even wtih Google Maps, we get lost because we do not have a route.

Recently I draw on the canvas and the canvas is a weaved item iteself, strings. It is completely different from paper, and perhaps this is influence by Sohei? By drawing on canvas, there is also Yoshimasu Gonzo, his poem has one about Ishikari, there is a white string as a metapohr. He alwyas wears white clothing, and to weave the string and create fabric, and also Gonzo’s poem on sheets, led me to the canvas. In words, weaving the story, there is also the term “weaving words”. Haiku was a short poem, but with its ocllection becomes a long story, that sense, physical sense, is like touching a cloth and gave me that sense, for the first time. Snap photos is a short poem, but by weaving it, thinking of what it is, there are two steps. One is to write a story with words I created, that is re-embodying. First walking the city and embodying it, and then revisiting it, that process is something I finally recognize by drawing on the canvas, the something physical.

It looks a little like shogi, chess

Perhaps the origins of shogi was this

Like an X-ray photograph

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