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鋳型の閾 – ネガの文字を通って

曇ったガラス窓に透けるある場所へ至る道の線は、指し示された「そこ」と描かれた「ここ」という場処の隔たりそのものの閾を孕んでいる。

 

ある時期、“陰画の文字”と歩き続ける日々があった。薄い透明アクリル板に銀のスプレーで塗膜しただけのゼラチンシルバーを模した表面に、詩や言葉を小さなナイフで切り欠いて、ポケットやバッグに入れて持ち歩いていた。常に言葉が蓄積させ続けているイメージの潜像を可視化するためだった。精神のカメラ・オブスクラの中から出して、手や鍵やピンを無造作に入れた、柔らかい暗室の中へ移した。初めに刻みこんでいた複数の言語の言葉の線の上に、さらに新たな線が、他のものとの間の関係によって引き出されるために。

私の視覚や聴覚の記憶と並走する、もう一つの盲目の、偶然の道の記録。言葉の意味を超えた痕跡まで刻むために。
イメージが引き出される途上、過程の記憶を見えないまま、重ね書きするドローイングとも言える。

線が画/像、あるいは記号、文字として成立すること。両者の間には、眼差しが変容する測りがたい閾が存在する。擦り傷同士が時間差をおいて交差するところに名づけ得ぬものが浮かび、なにかを象る意図を持たないまま、小さな輪郭を持ち始めた面が剥がれ落ちていた。

歩行に沿って回転したり、ずれたりしながら重なった痕跡は、銀色の面の上で、あらたな兆し、徴となった。それらの間を結びつけ、組み合わせ、あるいはばらばらのままで、比喩やイメージを発動させる意識の多層に及ぶ運動とともに、切り欠かれたネガの言葉のイメージも連動し変化する。そんな縮尺のない「ここ」を記し続け、線から画/像へ転じる閾に展開し、変容し続けるネガの地図を、関係性の宇宙の遥かな次元にまで開くことを、「いま」の眼差しに許す。

それらの微かなドローイングの蓄積は、ポケットから取り出して光に翳す度に、それぞれ異なる地点で光とともに透過させた光景や彼方の世界を接続する無数の通路、管(“tube”)を鋳出した。

ポケットの中で手作りの“ネガ”に蓄積された印。ある日の記録(iphone撮影)

ひとつひとつの言葉が、印/徴とともに、それまで抱えていた感覚や記憶の地層から出て、新しい光の通路の断面に、明るく浮かび上がる。

私の眼はその戸口を通って、同じ言葉の中から、もうひとつ伸びてきた道の上へ、歩いていく。地上の散歩がもたらした、文字の門を通りぬけた未知の道への、イメージに至るための歩。

翳す面の向こう側から、背景の逆光を引き出す経路となった文字は、その瞬間の世界の鋳型となった。掌の上に押し出された、言葉の光の皮膚に胚胎する、いま、のひとつの可視的な感覚を受け止めようとする。

複数の光源が鋳型に差し込めば、ひとつのネガの文字はいくつも、こだまのように光の像を数歩先の路上に投影していた。

言葉は、それが使われる方向・方法によって、世界を目の前に、鋳直すことができる。背景から新しい世界を、未来へ引き出す経路、通路となる。

翳す向きを変えながら、試しながら、いま、ここの断面を通り抜ける光をみつめながら、現像すること。世界の現実は一つのパースペクティブでは見えない、極薄の閾の重なりが、ある瞬間、ある角度から見て急に立ち現れるものならば。

そうして、ときに境界や輪郭の線を解き、心地よくあやし、揺らしながら、リズムの波を辺りに反射させること。

水野妙/ことばのアーキテクト。1978年生まれ。東京大学文学部言語情報学科卒業、東京大学 工学系研究科建築学修士課程修了。“Archive/Architecture As Letters/Language”がテーマ。多元 的な時空間·存在のありようをつなぐ共同体の生成の場処としての“ことばのけんちく”を、テ クスト製作を軸に試みている途上。翻訳に津田直『Elnias Forest』(2018)